藤糸で織られた藤布(ふじふ) に関する
歴史は古事記の神話までさかのぼります。
そこには、藤の花の美しさと、藤蔓、
藤布の魅力が織り成した愛の神話が記述されています。
また、皇族の喪服として藤布が使用されていた事もわかっています。
長野県南部、 南信地域では、遠山郷をはじめ、天龍村、大鹿村、阿南町、阿智村など山間地で昭和初期まで藤布が織られていました。
仕事着、穀物袋、豆腐袋、メンパと呼ばれる弁当の袋として使われる他、天龍村坂部の冬祭り、新野の雪祭りなど、国の重要無形民俗文化財に指定されている神楽の舞に欠かせないユワギとして存在してきました。
諏訪大社の御柱を引く網も、古くは藤でなわれていたという事です。
綿の普及により、現在はほとんどの地域で途絶えている古代産業(布)です。
遠山の逸話「藤姫物語」の中で、姫が御礼に紡いでいったとされている
山藤の糸。
糸に込められた感謝の想い・身分立場を超えた人の助け合い・・・・
語り継がれたこの物語に寄り添う藤糸の伝承を目指しています。